木のスプーン

モノ

名も無き木のスプーンを買った。
なんてこと無い場所で。
イトーヨーカドーの特設で、たまたま民藝品を扱っていたんだ。
僕は木のスプーンが好きで、今はほとんどこれ一本で事足りている。
何か食べる時は勿論のこと、取り分け用にも使う。

多くの人がスプーンやフォーク、様々なカトラリーをそれぞれ複数種持っていて、シーンによって使い分ける。
その気持ちは分かるが、一つで良くないだろうか?
プリン用のスプーンと、カレー用のスプーンが同じなのは違和感がある、という人は「ちょうどいい」スプーンを見つけられていないのでは無いだろうか?

僕の実家には使われないスプーンが何本もあった。
スタメンのスプーンが大半の料理を口に運び、カレーやシチュー用のスプーンが別にあり、取り分け用のお化けみたいに大きなスプーンがいた。
専門職に着いているスプーンも居て、例えばイチゴを潰すためのスプーンとか、紅茶に入れる角砂糖をかき混ぜるスプーン、パフェを食べるための、バーテンダーがステアに使うようなやたらに長いスプーン。

実家を出てから僕のスプーンは2本に集約された。
1つはバーテンダーがステアに使う柄の長いスプーンで高級バーツールメーカー「BIRDY」のものだ。カクテルにハマっていた時に、家でマティーニを作りたくて買った。
柄が長いので深い瓶の中身を掬うのも楽だし、調理においては長は短を兼ねると言ったところだ。
もう一つが木のスプーンで、100円ショップで買ったものをしばらく使っていたが、この度冒頭のものに買い替えた。

木のスプーンが好きな理由はいくつかある。
金属特有の風味が食べ物の邪魔をしない。
スープに浸けておいても熱くならない。
つるんとした無垢のものが多く洗いやすく清潔。
難点としては、使った後、シンクの上で水を張ったコップなどに差しても浮いてしまって落ちることだ。
これがなかなか鬱陶しく、100円スプーンがプカプカと浮いてコップから落ちると「あぁ、100円だなあ」なんて思うのだった。
シンクにころがった100円スプーンも「木なんだから浮くのは当たり前だろ」と言った顔でこちらを見ている。

イトーヨーカドーの民藝展では、それはもう腐るほどのカトラリーがジャラジャラと什器の上に置かれていた。
ある程度のジャンル分けはされているようで、中でも素材別のコーナーに興味が引かれる。

ナラ、だっただろうか?
木材の名前ははっきりと覚えていないが、硬く、大変加工しにくい木材、と紹介されていたのは記憶している。
何気なく手にとってみると、細い。
細いが、不安感がない。
材質が持つ剛性感が、「折れそう」と言う予見を打ち消している。
大きさは、丁度良い。
まさに、大きすぎす小さすぎず、長すぎず短すぎず。
なめらかで毛羽立ちも全くないし、丁寧な仕事だ。
値段は何と500円を切っている。
世間的に安いのか高いのかわからないが、僕には安く感じられた。
こんなふうにジャラッと陳列せずに、1本ずつ高級そうな石の上にでも置いておけば10倍の値段が付いていても誰かが買う気がする。
そのくらい綺麗だった。

100円スプーンの後任が決まった。

この優美なるナラ(仮)のスプーンで初めて食べたものは覚えていない。
特別感がないのだろう。
それはそうだ、だって500円だもの。
安いのだ。
何も感じない、感動は無い。
でも違和感がない。驚くほど違和感がない。
初めて口に入れるものは、大抵違和感を感じる。
大きいとか、分厚いとか、硬いとか色々な「食感」をカトラリーから感じるのだ。
それらが無いのに逆に驚く。
木のスプーンは薄いものが少ない。
大抵は分厚くてゴツい。
普段、金属のスプーンを使っていると、き奴等の口の中での存在感に戸惑うくらいだ。
食べ物を食べているのかスプーンを食べているのか分からなくなるくらいだったりする。
カトラリーは食べ物以上に主張してはならないのである。
だが使い慣れてくるとその主張にも慣れてしまって無意識に受け入れている。
これは、言うなれば敗北である!
妥協である!
とまで言うとスプーンなぞにはこれっぱちも興味の無い読者諸氏に地の果てまで引かれるので熱い情熱には日除けを被せておこう。

食べ終わって、いつものようにシンクの上で水を張ったコップにスプーンを差す。
すると、落ちない。落ちないではないか。
浮きはするが、落ちるほど浮かない。
別に珍しい出来事ではないが、それまで鬱陶しかった現象が一つなくなって嬉しくなった。
コップに差さったままのスプーンを見て世界一硬い木材「リグナムバイタ」を思い出した。
硬い、すなわち密度が高いので水に沈むのだ。
古くは船舶スクリューの軸受として使われたくらいに頑丈な素材だ。
リグナムバイタのスプーンはあるのだろうか?
調べてみると、あった。
だが、個人がつくって販売している程度のもので、一般流通しているものはほとんどなさそうだ。
リグナムバイタとはラテン語で「生命の樹」と言う意味らしい。
すごい名前だ。それほどに人間の生活に浸透していたわけでもなかろうにたいそうな名前を授かっている。

さて、僕が買ったナラ(仮)のスプーンはしばらく使うにつれて少々表面がざらついてきた。
ニスが剥がれたような感じだ。
まあ、安いのでこんなものだろうか。
これはこれで味があってよろしい。

段々と寒くなってきたから汁物が美味い今日この頃だ。
もうしばらく付き合ってもらおう、ナラ(仮)のスプーン君。

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