7月も暮れかけ、お盆休みが顔を覗かせつつある。
どこかに出かける予定があるわけでも無いが、思った。
サンダルが欲しい。
KEENのサンダルを一足持っているが、あれはもはや靴だ。
いや、靴っぽいサンダルというコンセプトなんだろうから、それでいいのだが。
このところは随分ミニマル志向になっており、とにかく装飾というものを避けるようになった。
そうするともうKEENはダメなのである。
いい靴だが、今の僕に必要なのはつま先を護ってくれる靴っぽいサンダルではなく、適当につっかけて気軽に履けるサンダルなのである。
となると、どうだろうか?王道のTEVAか?確かにカッコイイ。
KEENもそうだが一眼でTEVAとわかるカタチ、顔がある。顔のあるプロダクトは総じてハイクオリティだと思う。
想像してみる。ハーフパンツにTシャツで、TEVAを履いている姿を想像してみる。
悪くない、悪くないが面白くもない。
どこにでもいそうな人である。いや確実にどこにでもいる。街中を歩けば日に2、3人は見かける。
一見普通に見えても、よくみるとこだわりを感じる佇まいの人はかっこいいと思うし、そうなりたいと思っているのだ。
ここは一つ、ひねりを加えたい。少し外して抜け感を出してみたい・・・
ビーチサンダル!
ビーサンである!
うん、ビーサンにしよう!
別に珍しくもないが、最近はKEENやTEVAの流行りもあって相対的に履く人が減っているように思われる。
天邪鬼な僕はこういう主流をあえて外すのが好きであるし、ビーチサンダルなんて履物界の中でも最軽量の一角。気軽さで言えばこれに敵うものは裸足だけである。
早速探しに出かけよう。
こういう時はネットショッピングより実店舗が面白い。
なぜかというに不思議な一期一会があるからである。
一軒目、靴の大手量販店に行く。
無い。
まずビーサン自体がほとんど無いのである。
驚いた。
かつての夏の支配者ビーサンはこんなにも勢力を削がれていたのか。
夏真っ盛りだというのに、ビーサンは他の強国の顔を伺いながらひっそりと陳列されているようだった。
早々に見切りをつけて2軒目に行く。
スポーツ用品の量販店に行くが、やはり無い。
TEVAやKEENは大陸と言えるほど大きな専用の陳列コーナーがあるのに、ビーサンに与えられたコーナーは島と言えるかどうかも怪しいくらいに小さい。
次の店だ。
スポーツ用品の量販店を梯子する。
無い、次。
4度目の正直である。
まずまずの数がある。それでも少ないが。
陳列棚は小さな島がいくつか集合した、いわば列島であった。
まず、ぐるりと回って見る。
ぱっと見はあまり期待出来そうに無い。
黒のシンプルなビーサンが欲しいが、選択肢が2、3個しかない。
どれもあまり惹かれないなあ・・・
気づけばぐるぐると2、3週している。
ふと今まで気にしていなかった値札を見てみる。
ビーサンなんてものはせいぜい1500円くらいだろう、行っても2000円ぐらいだろうし、よもやそれ以上行くのであればもはや靴である。
そんなわけで値札を見ていなかったが、一つ手に取ってみてみる。
なんと、4500円。
ビーサンが、4500円。ビーサンが。
衝撃だった。理由を知りたいと思った。
じろじろと眺めてみる。
すると「MADE IN GERMANY」の文字。
なるほどこの4500円の理由はどうやらこの一言に詰まっているようだ。
なになに?メーカーは・・・?ビ・・・ルケン・ストック・・・?
知らない、靴に明るくないので全然知らない。
スマホをポチポチ、調べてみるとドイツの超老舗靴メーカーであることがわかる。
ビルケンシュトック、相当有名なメーカーのようだ。
なるほどよくよく見れば匂ってくるジャーマンプロダクトの芳香。
いやもうそうとしかみえない、ドイツ感がすごい。
なんだこの重厚感。サンダルなのに。軽いのに。
買おう。これに決めた。
少し不思議な体験だった。
全然見向きもしなかったものに対し、まず価格の高さで気を引かれ、ただ一瞥に付すだけのその味気ない、一見するとよもやダサいスタイリングが、「MADE IN GERMANY」という単語とリンクした途端、最高にカッコよく見えたのである。
ドイツ製品には、独特の重厚感がある。
それは重量によるものではないし、もっと言えば見た目によるものでもない。
だからこそ僕はこれを「MADE IN GERMANY」と認識するまで何も感じなかった。
発泡ウレタンのサンダルが、「MADE IN GERMANY」の言葉と共に重みを増していく。
その言葉の背後にいるジャーマンエンジニアリングの研鑽が、ビルケンシュトックという200年企業の歴史が、この羽のように軽いサンダルに質量を与えていく。
もう大好きである。履く前から惚れている。
こういう出会いがあるから実店舗での買い物は楽しい。
さて、買うと決めたらサイズの確認である。
サンダルは素足で履くものだから、試着するのが憚られる。
どうしたものか・・・
ターミネーターを思い出した。
あの名作映画である。
主人公が裸一貫でタイムスリップしてきて追われながら着るものを調達するシーン。
閉店した服売り場から着るものを盗むシーンだ。
主人公は追われているので悠長にサイズを確認する暇はない。
スニーカーを無造作に手に取り、ソールを自分の足の裏に合わせる。
これで良しと確認してまた走り出す。
子供の時分に観た映画は中々忘れなかったりする。
自分の足の裏にドイツ生まれの黒い塊を合わせてみる。
まあ、こんなものかなあ。購入決定。
何かお気に入りのものを買えた日ほどウキウキする日はない。
まだ午前11時だ。今日はひとつ、こいつの処女航海といこう。
履いた瞬間思った。
ドイツ人の足は鉄か何かか??
親指と人差し指で挟む部分がすごく太い(気がする)。
(調べてみるとこの部分は「前つぼ」と言うらしい)
すごい圧迫感だ。
指の間に缶ビールでも挟まっているんじゃないのかと思うくらいだ。
これは、靴ズレ待ったなしか・・・?
無念、4500円、ここに散レリか・・・?
いや早まるな、新しい靴というのは総じて違和感を感じるものだ。
しばらく履いてみないことにはわからない。
それから数日、数週と経つにつれ、このドイツサンダルの優秀さが次第に解ってきた。
まず、ビーサンと思えないほどにソールのクッション性が高い。
ビーサンというとペラペラなゴムベラに鼻緒を通したくらいのものという認識だったが、このMADE IN GERMANY君は分厚いソールでスニーカーのように衝撃を吸収する。
さらに、これがおそらくこいつ最大のアイデンティティだが、足を乗せる部分のフチがせりあがっており絶妙なフィット感を生んでいる。
このためズレにくく、かなりの距離を歩いても疲れにくいし、懸念していた靴ズレも皆無である。
指の間の缶ビールはすっかり気にならなくなり、むしろこのサイズ感じゃないと逆に違和感を覚えそうである。
すっかり気に入ってしまったこの新たな相棒のつくりをじっくり見てみよう。
一体成形である。
ソールも鼻緒もシームレスに繋がっている。
もちろん色も一色だ。
一体成形の樹脂やゴム製品は安っぽさを感じることもあるが実際には逆の場合も多い。
すなわち、一体成形するための金型が、部品を分けた場合のそれに比べて遥かに複雑な形となり結果的にコスト高となってしまうのである。
とは言え、きょうびの金型技術ならば困難を極めるというほどでもなかろうし、実際に一体成形の安いサンダルなんてものは履いて捨てるほどある。
彼が何故一体成形品としてワンショットで生まれてきたのか、その理由を妄想してみる。
ドイツ人はいい加減に物事を進めない民俗だ。
その行動や意思決定には必ず理由があり、なんとなく、という思想は皆無である。
デザイン的な観点で考えてみよう。
一体成形品はシンプルで美しいと思う。
彼も装飾らしい装飾は無く、デザインの時点でミニマルな方向性であることが窺える。
デザイナーはコンセプトに沿って全てを決めていく。
彼のコンセプトはミニマル、シンプル、機能的であるように思える。
この方向性に一体成形という製法は、合致する。
と言う推理が、一つ。
機能的観点では、耐久性が挙げられそうだ。
継ぎ目のあるものはそこから壊れることが多い。
みなさんも経験がないだろうか、はまっていたものが引っこ抜けたり、くっついていたものが裂けたり、あるいはポロッと取れたり。
壊れる部分は分割面からの場合が多いはずだ。
この理由は多くの場合、応力集中という言葉に集約されるのだが、読者諸氏のお気持ちを察しここでは追求せずにおこう。
一体部品(モノコックとも言う)は強いのである。
少々投げやりにまとめたが、こう言うことである。
さらに経済性の観点で考えよう。
一体成形は高コスト、と前述しておいてなんだが、これは一般論であって場合によっては逆転も考えられる。
製造数が多ければ組立て工程が無い分安く上がるかもしれないし、金型部門が社内にあって十分なノウハウを持っていれば外注するより安く済むだろう。
ドイツは言わずもがなものづくりの国なので金型製作はお手のものだろうから人件費を考えると一体成形はむしろ安いのかもしれない。
パーティングラインから金型の形を考えるのも楽しいが、そんなことを書き出すとここまで読んできた恐ろしく忍耐強い読者もついにブラウザバックボタンを押すだろうからやめておこう。
ここでやっと、公式サイトの情報を確認してみる。
名前は・・・ほう、「Honolulu」と言うのか。ハワイだ。
僕は黒を買ったがサイトに載っている白は確かにリゾートサンダルといった趣。
その他に目立つのは歩行のための形に関する工夫点だ。
土踏まずの膨らみはもとより、指が掛かる部分の隆起、ヒール部分の窪み、エトセトラ、エトセトラ・・・
なるほどこの形一つ一つに意味があるのか、さすがジャーマンプロダクト。気組みを感じる。
機能のための形は無意識に美しいと感じるものだ。
所謂「機能美」である。
僕はこの機能美のあるものを追い求めてやまない。
(まあ今回は一度贔屓目に見てしまっているからそう見えると言うのもあるが)
もう11月になるのに僕はまだこのHonoluluを履いている。
確かに肌寒いし、ダウンを着ている人もちらほら見かけるからちょっとした異常者のようにも見える。
でもできる限りこれで行きたいと思う。
寒さで、もう無理!となるまでこれで行きたい。
きっと、過ぎていった夏が恋しいのである。
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